逆瀬川爆撃演習

4月17日(日)17:30からの「サンデー・トワイライト」は、「今から81年前、逆瀬川で爆撃演習がおこなわれていたことを憶えている人はどれくらいいる?」という長いタイトルですが、地元の話題として聞き捨てならないテーマをお話しします。 番組のディレクターである佐々木孝昌さんは郷土史家であり、ライターとして神戸新聞の月一度、「四ツ目がとおる」という兵庫県の近代史を基盤にした記事を連載されています。2021年12月20日、連載30で取り上げられたのが「逆瀬川上流の模擬都市」なるテーマで、今から81年前の1941年9月20日、大規模な実爆弾演習がおこなわれたことを紹介しています。 逆瀬川に古くからお住まいの方、この爆撃演習のことをご存知なのでしょうか。81年も前のことですから、当時10歳の子供なら90歳を越えておられる。しかし、佐々木さんは取材のなかで、この出来事を記憶されている方とめぐり会うことはなかったそうです。 逆瀬川上流に模擬都市というのは、爆撃をする建物を建て、爆撃によってどのように建物が壊されるのかを検証するというもの。この出来事は、宝塚市史にも記録がなく、佐々木さんは日本建築協会が発行した雑誌「建築と社会」(1942年2月3月号)の記事で発見したそうです。 1941年といえば、まだ日本は爆撃の被害を受けていない時代。この爆撃演習には多くの見物客が詰めかけ、その数は7万人を超えたそうです。そのために観覧席が作られ、おそらく屋台などがたくさん出て、一種のお祭りイベントのような様相ではなかったか……と佐々木さんは言います。 しかし、この年の12月8日には真珠湾攻撃があり、太平洋戦争がはじまります。そしてその後、大阪や神戸、東京が空爆され、広島・長崎に原子爆弾が世界で初めて使用されます。宝塚市は1945年7月24日に川西航空機宝塚製作所(現在の阪神競馬場)が爆撃を受け、その周辺の地域にも被害が及びました。アメリカ軍は、逆瀬川でおこなった爆撃演習の爆弾をはるかに上回る大規模な空爆をおこないました。 今この時代、世界では爆撃をしている地域がありますが、いったい人間はいつまでこうしたことをくりかえしていくのだろう……と暗澹たる気持ちになります。そんな話を谷泰三と佐々木ディレクターと話しています。 音楽は、京都の3ピースバンドWalrusの「アリさんのサーカス団」をお届けします。この歌の詞を、構成の上野卓彦が書いています。元々は劇中歌として歌われたものです。真雁さんの「カフェグリーン・タイム」もお楽しみください。