本の話

11月27日(日)17:30からのエフエム宝塚「サンデー・トワイライト」

上野が読んだ本の話、

『仏教の大東亜戦争』鵜飼秀徳著(文春新書)です。

第二次世界大戦で金属供出がおこなわれた際、

最初は一般家庭などからの金属モノが供出されたが、

やがて寺の鐘をはじめ、いろいろなものが供出させられた。

例えば、四天王寺の梵鐘は 「高さ8メートル、重さ64トン」という世界一の梵鐘であった。

第5回内国勧業博覧会と 聖徳太子1300回忌(大正10年=1921)の記念共同事業の一環で、

明治末期に製造された。

明治41年=1908年に「撞きぞめ式」がおこなわれたが、

その40年後の昭和17年=1942年に「搗き納め式」がおこなわれ、

1943年には解体されて梵鐘は消えた。

その他、全国各地の寺の梵鐘が供出され、

代わりにコンクリート製の梵鐘を下げた。

もちろん鳴らない。

今も滋賀県高島市マキノ町の浄土宗の称名寺には、

コンクリート製の梵鐘が吊り下げられたままになっている。

「コンクリート鐘は地域の貴重な戦争の遺物であり、生き字引。

我々は、きちんと後世に伝えていく責務があります」

と管理している住職は語っている。

京都の真如堂、名刹です。

個々の梵鐘も供出され瀬戸内海の三菱鉱業直島精錬所まで運ばれたが、

真如堂の鐘は武器製造に必要なスズの含有量が少なかったことから、

戻ってきた。

鐘には1.5センチほどの小さな穴がたてにならんで2つ空いている。

これは調査した結果であろう。

奈良の古寺の文化財も一般の民家に疎開した話。

○興福寺の阿修羅像 ○薬師寺の吉祥天画像

○朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の信貴山縁起絵巻

☆法隆寺では、五重塔(34m)や金堂(上層部だけ)が解体されて疎開

昭和17年=1942から五重塔の解体修理工事が始まったが、

技師や大工が次々と出征してしまい、なかなか進まなかったとか。

☆唐招提寺は、文部省から日本最古の肖像彫刻である 鑑真和上坐像の疎開命令が出たが、

寺側は「開山さん(鑑真)と運命をともにする」と頑として疎開に応じなかった。

☆東大寺は疎開に断固拒否していたが、

昭和20年=1945年の6月1日に、

第二次大阪大空襲のB29編隊の一機が 東大寺の西側のエリアに焼夷弾の残りを投下し、

奈良における最初の空爆となり、死傷者を出した。

これを契機に三月堂の解体、

四天王像、地蔵菩薩像、 不動明王像などが雛の地の寺に疎開した。

☆京都に空襲はなかったといわれているが、

東山区馬町(1945年1月16日)に 250ポンド爆弾20発が落とされ41人が死亡した。

6月26日には上京区西陣に空襲があり50人の方が亡くなっている。

☆東京には由緒ある古刹が多かったが、 首都空襲でほとんどが灰燼に帰した。

政府と軍部が3年4ケ月も戦争を継続してしまったことが原因だ。

☆ウクライナが空襲されているが、

どれだけの文化財が破壊されているのだろうかと考えてしまう。

といったお話をします。