三島由紀夫事件から54年目の秋
毎年11月20日を超える頃にふと思い出すのが
1970年11月25日の三島由紀夫自決事件です。
私は当時中学生で、
『花ざかりの森』をちょうど読んでいたときでした。
中間試験で早く帰宅した水曜日。
母がテレビ画面を示して、
「大変な事件が起こっている」
といったのが、
市ヶ谷駐屯地バルコニーを映し出す中継画面でした。
「なんで三島由紀夫が……」でした。
この日から54年の歳月が流れています。
自決時45歳だった三島は現在生きていたら99歳。
来年は百歳になります。
自決の4ケ月前に産経新聞に寄せた原稿で、
「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」
という随筆があります。引用させて頂きます。
『私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。』
この54年前の三島由紀夫の予言を読んでどう思われるでしょうか。
これは、三島の杞憂に過ぎない。
日本は歴然と存在しているじゃないか。
という人もいるでしょう。
あるいは、
まさに今の日本のことをそのまま言い当てていて三島の先見性を凄い。
という人もいるでしょう。
事件後、さまざまな方がコメントを発表しました。
「ただ驚くばかりです。こんなことは想像もしなかった――もったいない死に方をしたものです」川端康成
「現代の狂気としかいいようがない」「ただ若い命をかけた行動としては、あまりにも、実りないことだった」石原慎太郎
中曽根康弘防衛庁長官は、「非常に遺憾な事態」とし、三島の行動を「迷惑千万」「民主的秩序を破壊する」ものと批判した。
「全く気が狂っているとしか思えない。常軌を逸した行動だ」佐藤栄作首相
そして、最も厳しく批判したのが司馬遼太郎ではなかったでしょうか。
司馬は、「同じようなことをする模倣者が出ないことを望む」と書き、
三島の行動を全面的に批判しました。
しかしながら、2010年に刊行された、
評論家で作家の松本健一の
『三島由紀夫と司馬遼太郎「美しい日本」をめぐる激突』(新潮選書)
この本を読むと、
1925年と1923年というほぼ同世代の小説家のことが、
さまざまな形で浮かび上がってきます。
司馬遼太郎は三島由紀夫の最後の行動を激しく批判しましたが、
松本健一は本書の帯の惹句のように、
「二人は真逆の道から一つの失望にたどり着いた」
と結論付けています。
それが、先に三島が書いた
「日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。」
という文意に結びつくように思えてなりません。
司馬遼太郎は晩年、
土地ころがしなどの「日本の国土・土地」の問題に憂いを感じていましたが、
三島の書き残したこの一文は、
まさにそこにある「失望」に共通に結びついていくように思えてならないのです。
つまり、三島由紀夫と司馬遼太郎は同じ
「ダメになっていく日本」を憂うる者になったのではないかと。
そうした話を谷泰三とします。
谷さんは陽明学や吉田松陰について造詣が深いので、
松陰や大塩平八郎の行動なども語ります
。
そして音楽は、
三島さんが好きだったワーグナーの楽曲で
「愛の死:トリスタンとイゾルデ」をお届けします。