第6回 轟悠 個展『心の旅』

樽井美帆です

 

第6回 轟悠 個展『心の旅』が、

7月31日(月)・8月1日(月)の2日間

ホテル阪急インターナショナル 4F 花風で開催されました。

 

東京では、第一ホテル東京にて7月24日(日)・25日(月)に

開催されました。

 

11時の開場前から、個展の開催を待ちわびていたファンのみなさんの長蛇の列!

 

 

個展の開催は今回で6回目となります。

 

第1回 2003年3月

第2回 2004年7月

第3回 2007年7月

第4回 2008年9月

第5回 2010年9月

 

今回は6年ぶりの開催です。

 

 

開場前に囲み取材が行われました。

 

凛とした美しい靴音を響かせ、

白のジャケット・黒のパンツ姿の轟悠画伯ご登場

 

『レビュー・ステイション』第6回轟悠個展『心の旅』1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★今回の個展開催にあたってのお気持ちは?

 

今回個展を開くにあたりましたのも、応援してくださっているファンのみまさまからの

ご要望が多かったということと、舞台と舞台との合間がちょうどありましたので、

『For the people-リンカーン自由を求めた男-』を終えてすぐにとりかかり、

今回は新作が22点・100周年の時に逸翁美術館に展示させていただいたものが10点

小学生時代の絵が1点・中学生の時が2点・母の絵が5点飾ってあります。

合計40点となっております。

東京の方から先に個展を開催いたしまして大変ご好評いただきました。

30点の予定だったところを40点提出していますので、

スペース的にはキュウキュウになってしまいましたけれども、

母とのプチ親個展を開けたというのが一つ私の中では幸せだなと感じております。

 

 

会場をぐるりと囲むように轟悠さんの絵が飾られ、

轟悠さんの心地よい世界に包まれている感じがします。

何とも言えない清涼感、穏やかな心、美しい世界を感じることができました。

富士山・モンサンミッシェルを題材とした絵が中心なのですが、

同じ題材でもイメージの違う絵がずらり!

 

 

★富士山とモンサンミッシェルを題材にしている理由は?

 

日本人ならば一度は見ている富士山。

今年山の日が国民の祝日になりました。

人を魅了してやまない山だと思います。

ただ登りたいとは思わないんですが・・・(笑)

頂上まで登った生徒から、大変だったのよ~と聞いて、

絶対行きたくないと思いました(笑)

神が宿る山として古くから描かれていますし、私も魅了された一人です。

モンサンミッシェルには実はまだ行っていないんです。

行っていないのにこれだけ描く?という感じですが、

行きたいという憧れがあります。

惹かれるものが全く違うんですが、描き続けていきたいと思っています。

 

 

8月11日、山の日は轟さんのお誕生日ですよね?

と私が話しかけると、素晴らしい笑顔で

 

『そうなんです!国民のみなさまが私の誕生日を祝福してくださいます!!』

と轟さん

 

 

ヘリコプターで登れるそうなので調べてみようかなと

登った下級生に言うと、

 

『絶対ダメ!せめて5合目から自分の足で登ってください!』

と言われたそうです。

 

 

これまで、何かひとつのことにとらわれていたのかなと思っていた

轟さん、今回は創作的な作品に数多くチャレンジされていました。

 

釘・糸・ゴマ・パスタ・和紙・卵の殻を使った絵です。

 

絵の描きはじめはまず、日曜大工からだったそうですよ!

 

宝塚も100周年を終え、

歴史・重み・存在・携わってこられた方々のお気持ちを

すごいと感じた時期を経て、自分の中で何かが変わったのかな。

納得して諦めたらそこで終わってしまうので、それが出たのかなと

新たな挑戦への心境の変化をお話されていました。

 

 

お母さまの絵は古いものなので剥離しているところ、

未完成のもの、サインが入っていないものなどがあったそうです。

 

お母さまのサインをまねて入れたり、剥離しているところは、

絵の具をこれかなあれかなと何種類も色を作って修復。

 

 

お母さまの絵の中でピンク色の着物に緑の袴姿の

タカラジェンヌの絵がありました。

 

私ではないと思うんですけどね~(笑)

音楽学校時代のすみれ売りの絵だと思います。

予科生の時にピンク色の着物が1枚だけあったと思うので、

母の中のタカラジェンヌのイメージと娘を

ミックスしたイメージではないでしょうかと轟さん。

 

 

作品・絵は自分の分身。

でも、可愛い子と可愛くない子がいるそうです!

 

絵の具を盛っているものは乾きにくいので、

まだ半熟だと思いますと愛おしそうに絵を見つめていらっしゃいました。

 

 

多い時は、平行して8点の絵を同時進行!。

 

乾かすだけで2週間以上かかることも。

 

梅雨時でしたので、前日夜に貼ったパスタが

朝全部反り返っていてたこともあったそうです!

 

 

 

分身である絵は、これまで販売されておらず、

誰にも譲っていないということですが、

大分前から約束しているお兄さまには

モンサンミッシェルの絵を譲られるそうです。

 

末の弟さんからも欲しい言われているそうですが

 

『弟にはちょっと・・弟は位がね・・・まずは兄から。』

 

『レビュー・ステイション』第6回轟悠個展『心の旅』2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★たくさんの絵画の完成のタイミングはどのように決められるのでしょうか?

 

どうしても絵を描いていると近くなってしまうので、

遠くから引いて見るとバランスが悪かったりというのがあります。

これでよしというのは、ずっとないんでしょうね。

舞台も似ていますけど。

私も不思議に思って吉田優子先生に聞いてみたことがあります。

音楽をこれだけ膨大な数、何十何百曲を、何作品も平行して作曲されているので、

いつこれでOKというのができるんですかと。

次にいかなきゃいけない焦りも出てきますしね。

役者として舞台に立っている時も、無形のものなので、

どこまですればいいか、どこを引けばいいのかとか、

ただがむしゃらにやればいいというものではなくて、

絵ももっと描き込めば満足いくのかなというのは残っていますね。

 

 

★これからの夢は?

 

他の食材も使ってみたいです(笑)

九州での地震から半年、熊本城があのような姿になったのは

いまだに心を痛めております。

幼いころ、石垣はよく描いていました。

修復された時には熊本城を描いてみたいです。

熊本県人としては、すごく好きなお城なんです。

白と黒で、雄雄しい、勇ましい、武者返しもステキですし。

富士山・モンサンミッシェルも引き続きもっと描き込んでいきたいというのもあります。

まだまだ色んなことが思いつくと思います。

 

 

★理事である轟さんにとって今の宝塚歌劇とは?

 

ほどよく進化をとげていると思います。

急激な変化というものは、100年間の宝塚歌劇団というものを

脅かしかねないのかなとか、でも挑戦していかなくてはいけない。

そして何事もやってみないことには、何も結果は出ない。

変化を求めているのではなくて、

常に宝塚は変化を続けてきたところだと思います。

本物は残るのかな。

色んな意味で先見の目を持った宝塚歌劇でありたいですし、

100年以上の歴史を持っているプライド的な部分も

大切に受け継いでいくべきだと私は強く思っています。

 

 

その歴史の中で轟さんご自身の存在は、

『その中の点ですね。』とおっしゃっていました。

 

 

自分のためにも、宝塚歌劇のためにも、

応援してくださるすべてのみなさまのためにも、

私ができること、私が表現できるものは

すべて出し尽くして、挑戦していきたいですと締めくくられました。