元宝塚歌劇団 星組 初輝奏さん
樽井美帆です
宝塚歌劇の夢と情報をお届けする『レビュー・ステイション』
10月4日(土)は、スペシャルゲストデイをお届けしました!
お迎えしたのは、
元宝塚歌劇団 星組 初輝 奏さん
1995年、『国境のない地図』で初舞台を踏まれた81期生。
1998年、星組公演『ディーン』で退団されました。
この日のオープニングナンバーは、初輝さんが選んでくださった思い出の公演
1995年の星組公演『ジュビレーション!』の主題歌をお送りしたのですが、
『ジュビレーション!』といえば、プロローグのオレンジ色の衣装が印象的ですよね🧡🍊
なんと初輝さんは、偶然にもステキなオレンジ色のワンピーススタイル!
ジュビレーションカラーでお越しくださいました🤩
『ジュビレーション!』では、ポンポンを持って踊る場面もあり、
舞台に立つたびに元気になっていくショーでしたとおっしゃっていました。
初輝さんは、2017年ごろからエフエム宝塚には何度もご出演くださっていますが、
『レビュー・ステイション』へのご出演は初めてということで、
宝塚歌劇団時代のお話をたっぷりお伺いしました。
初輝さんが初めて宝塚歌劇をご覧になったのは、中学生の時。
チケットが1枚余っているからとお友だちに誘われ、
東京宝塚劇場で高汐巴さんがトップスターをつとめる花組公演を観劇。
「うわぁ!こんな世界があったのかぁぁぁ!」と衝撃を受けられたそうです。
小学校3年生よりクラシックバレエを習われていた初輝さん。
イギリスへバレエ留学をされ、レッスンに励んでいらっしゃいましたが、
幼いながらに、身長が伸びすぎたことを感じられます。
そんな悩んでいる時に観た宝塚の舞台!
長身の男役さんが、舞台で颯爽と踊り歌う姿を見て、
「ここだ!」と思われたそうです。
運命の出会いはしたものの待っているのは狭き門。
宝塚に入りたいという思いが強く続き、一途に頑張られた結果、
見事に宝塚音楽学校に合格されました。
初輝さんら81期生のみなさんが学ばれたのは旧宝塚音楽学校。
そして、まだ宝塚ファミリーランドがあった時代。
アトラクションを楽しむ人たちの歓声を聞きながら、レッスンに励まれたそうです。
芸事だけでなく、小林一三さんの教え、心の在り方、舞台人としての姿勢などを
教わった貴重な2年間。
今もその気持ちは持ち続けていらっしゃるそうです。
本科生の時には、宝塚歌劇80周年記念式典で大劇場の舞台に立たれました。
初舞台を踏む前に大劇場の舞台に立ち、写真撮影の際には憧れの大階段に。
大階段の上から下級生順に並ぶため、初輝さんら音楽学校生は一番上に立つことに。
初輝さん立ち位置は、一番上の端っこになりました。
大階段の側面には、壁も手すりもなし。
舞台の天井から吊るされている大階段は、人が乗るたびに揺れて、
とても怖くて、同期生と手を握り合って耐えたそうです。
30年の時が流れ、今年9月1日に開催された111周年記念式典に出席された初輝さん。
宝塚市民のみなさんやファンのみなさんに恥ずかしくないよう、
宝塚歌劇の素晴らしさや伝統をもう一度見直し、次世代に伝えていくことが、
OGの使命なのではないか、宝塚への愛ではないのかなと、
式典に出席されてあらためて感じられたそうです。
歴史あってこその深化。
深まり変化していく深化をしていってほしいという思いを、
あらためて強くもたれたのだそうです。
音楽学校卒業試験の初日、1995年1月17日。
阪神淡路大震災が発生しました。
家の中の物はすべて倒れ落ちるという状態。
たまたま東京から試験の応援に駆けつけていらっしゃったおばあ様から、
「もし試験が行われていたのに、あなた行かなかったら卒業できないわよ」と言われ、
学校に行かれたそうです。
戦争を乗り越えた人だからこその言葉だったのかなと振り返っていらっしゃいました。
大劇場の周辺は壊滅的。
生きていく上で必要な衣食住が崩れてしまった状況で、
エンターテインメントの立ち位置を考えられたそうですが、
ファンのみなさんと劇団と生徒が一つになって再開できたことに、
とても感動的されたそうです。
初舞台は、阪神淡路大震災後の再開一作目の公演『国境のない地図』。
震災を乗り越えての初舞台は、音楽学校生活を経ての初舞台でもあり、
また麻路さきさん・白城あやかさんのトップお披露目公演でもあり、
感激もひとしお。
宝塚に入って舞台に立たせていただけること、お客様にこんなに喜んでいただけることが、
どれだけありがたいことかと実感した経験は、初輝さんの今にもつながっているそうです。
トップコンビを舞台袖の特等席から毎日うっとり眺めてから、
ロケットを踊られていたそうですよ😍
初舞台を踏んだ星組に配属となり、
『国境のない地図』東京公演から星組生として舞台に立たれました。
1996年の『パッション・ブルー』には、宝塚ファミリーランドで誕生した
ホワイトタイガーの赤ちゃんが出演しました。
出番前になると飼育員さんに連れてこられるホワイトタイガーの赤ちゃん。
舞台袖は、多くの人が行き交うため交通整理がされており、
ホワイトタイガーの赤ちゃんに会いに行くことはできなかったのですが、
初輝さんはちょうど出番前だったため、毎回ホワイトタイガーの赤ちゃんに会えていたそうです。
公演が始まって間がないころは、まだ白猫のように可愛かったのに、
公演の中日を過ぎたあたりから、だんだん成長し、手などが猛獣化🐯
ホワイトタイガーの赤ちゃんの成長を見届けた1ヶ月半の公演だったそうです😅
同じ年、『エリザベート』にご出演。
初演の雪組に続いての上演となりました。
お稽古中は、曲の素晴らしさに感動され、実際に舞台に立たれた時には、
特徴的な照明に感動されたそうです。
カッコイイ麻路さきさんのトートについて行きたいという思いで、
舞台袖から見つめていらっしゃったそうですよ💗
1997年の『ダル・レークの恋』では、プロローグのダンスシーンに初めて入られました。
回り舞台(盆)が回り、ターバン姿で麻路さんと踊ることができて、
とてもうれしかったそうです。
衣装・小道具・照明・装置・大道具などのスタッフのみなさんの
素晴らしい技術が集結して、宝塚歌劇の美しい舞台は出来上がっているのだと、
再認識しましたとおっしゃっていました。
在団中一番うれしかったこととして教えてくださったのは、
大好きな缶詰のサクランボにまつわるエピソード。
ある日の楽屋弁当は、とんかつ弁当で、キャベツの千切りの横にサクランボが付いていました。
サクランボを一つ食べて舞台に出て、出番を終えて楽屋に戻ると・・・
お弁当の上に真っ赤に山積みになったサクランボ🍒😲
初輝さんがサクランボ好きということで、集めてくれた同期の愛と、
提供してくれた上級生・下級生のみなさんの愛に感動して泣かれたそうです😢
1998年、宝塚バウホールと日本青年館で上演された『ディーン』で退団されました。
演出家・岡田敬二さんの作品で退団したいと思い決められたそうです。
その理由は・・・
音楽学校の入学試験の時のこと。
声楽試験で一番最後のグループになった初輝さんは、寒い廊下で順番を待っていました。
その時通りかかった岡田敬二さんが「頑張ってね」と声をかけてくださったそうです。
さらに、音楽学校に入学されたものの、もともと声が高く低い声が出なかったため、
娘役になりたいと思っていた初輝さん。
そこで岡田敬二さんに相談を・・・
すると「君が男役やらないでどうする。早く髪の毛切ってきなさい。」と。
髪が長かった初輝さんは、すぐに翌日髪をカット。
入団されてからは、岡田敬二さんの『魅惑II -ネオ・エゴイスト!-』にご出演。
お世話になった岡田先生の作品で退団したいと思われていたところ、
奇跡的なタイミングで『ディーン』の上演が決定したそうです。
2006年、 Muse Ballet Studio 発足。
主宰として運営、指導をされています。
また、女優・タレント活動、テレビ・ラジオ・イベントにもご出演。
ステージ活動、執筆活動と幅広く活躍をしていらっしゃいます。
Muse Ballet Studio のレッスン会場は、宝塚文化創造館バレエ教室。
初輝さんが、かけがえのない2年間を過ごされた旧宝塚音楽学校校舎です。
そんな思い出の場所で、初舞台から30年を迎えた初輝さんが、
『うたかた華舞台 ACTⅠ 〜30years of Love〜30年の愛の物語』を開催されます。
皆様に感謝の気持ちを込めて、いただいた愛を少しでも何か私のできることで
お返ししたいという思いで開催いたしますと初輝さん。
日時:11月30日(日) 15:30開演 予定(15:00開場)
会場:宝塚文化創造館 1階ホール
詳しくは、こちらをご覧ください。
✨うたかた華舞台 ACTⅠ 〜30years of Love〜30年の愛の物語✨
ファンのみなさんやリスナーさんから届いたたくさんのメッセージ。
一通一通、お一人お一人に優しく寄り添われる初輝さん。
大きく包み込んでくださる包容力。
前向きに物事を捉えお話される初輝さんは、明るく輝いていらっしゃいました✨
初輝奏さんのオフィシャルサイト
✨初輝奏 Kanade Hatsuki オフィシャルサイト✨
YouTubeライブのアーカイブはこちらです!
✨2025年10月4日『レビュー・ステイション』(初輝奏さん)✨
初輝奏さん、ご出演くださいまして本当にありがとうございます!