「名取千里さんと振り返る宝塚歌劇100年の歩み〰そして未来へ」
姿 美保子です
12月9日(金)放送のコーナー
ナビゲーター 名取 千里さんによる
「名取 千里さんと振り返る宝塚歌劇100年の歩み~そして未来へ」
第1回はお楽しみいただけましたでしょうか。
ナビゲーターを務めて下さった名取さんは、宝塚歌劇のロンドン公演(1994)や香港公演(1998)でも現地へ飛んで取材をされるなど、
長年にわたって宝塚歌劇を中心とした阪神間の文化を研究され、著書も多く発表されている方です。
そこで当日はどんなお話しを聞かせていただけるのかと、樽井さんと私もラジオの前の皆様と同じようにわくわくしながら名取さんをお迎えしました。
大劇場が誕生したいきさつなどは、宝塚歌劇100周年(2014)を機に方々で紹介されましたのでご存知の方も多いと思いますが、名取さんは今まで私たちが知らなかったことまでもわかりやすくやさしいお声でお話しして下さいました。
名取さんが調べられたところによりますと、
小林一三氏が走らせた電車・箕面有馬電気軌道(みのお・ありま・でんききどう)、現在の阪急電車宝塚線は
本来梅田から宝塚を通過して有馬温泉で有名なあの有馬を終点とする予定だったのだそうです。
ところが諸事情により有馬への延線を断念。
宝塚が終点となり(1910)、そこに宝塚新温泉を開場。
500人収容の室内プールを備えたパラダイスが営業を始めたのが開場の翌年1912年7月の事でした。
けれど室内プールはわずか2カ月で閉鎖となります。
ここから一三氏のアイディアが炸裂していき、
室内プールを舞台に転用、少女歌劇を始めることになり今に至る宝塚歌劇の誕生となるわけですね。
名取さんのお話を伺いながら
「『有馬歌劇』にならなくてよかったー」とホッと胸をなでおろし、
「プールには温水設備がなかったので営業を始めた7月頃はよかったんですね。
でも秋になると寒くて誰も来なくなっちゃった。
だから2カ月で閉鎖においこまれたんでしょうね」
というお話には二人して大爆笑(一三様、失礼しました)
また大衆に良い芝居を安い料金で楽しんでもらいたいという『大劇場論』を実践すべく、
小林一三氏が1924年(大正13年)に4000人収容の大劇場を建てたというお話。これは有名なお話しですが、
その頃走っていた電車がわずか1.2両連結の車両で
のどかな田園地帯を走ることからミミズ電車と呼ばれていたという名取さんのお話には
「ではそれだけの人がどうやって来たの!」とビックリ!
名取さんのお話は日本初のレビュー「モンパリ」誕生からレビュー黄金期へと淀みなく続き興味は尽きませんでした。
次回はどんなお話しを聞かせて頂けるのでしょうか。
お聴きになられた皆様の ご感想、ご質問をお待ちしています。
「名取千里さんと振り返る宝塚歌劇100年の歩み~そして未来へ」
第2回は 1月13日(金)
第3回は 2月24日(金) 放送予定です。どうぞお楽しみに
12月の放送予定です
12月16日(金) 2016年の公演振り返り①
バウホール公演他
CD発売イベントリポート&インタビュー
元月組トップスター:真琴つばささん
12月23日(金) 2016年の公演振り返り②
大劇場公演
12月30日(金) スペシャルゲストデイ
スペシャルゲスト 音花 ゆり さん
今年もやります!
「2016 あなたが選ぶベスト作品&スター」
あなたが今年最も良かったと思う作品のタイトル、スターの名前を書いてご応募ください。(複数可)
ご応募下さった方には素敵なプレゼントを!
詳しくは16日放送の【レビュー・ステイション】で