「名取千里さんと振り返る宝塚歌劇100年の歩み〰そして未来へ」最終回
姿 美保子です
12月から3回にわたってお送りしてきました
「名取千里さんと振り返る宝塚歌劇100年の歩み~そして未来へ」は
2月24日放送回が最終回でした。
100年余り前からの歴史というのは想像もつかないほど昔のことではなく
今まさに自分がいる時代でもありますので、
名取さんの緻密な取材から掘り起こされるお話には毎回私もワクワクして
おりました。
今は巷で流行りのロス状態になっています。
最終回のテーマは「海外公演」でしたね。
近年では千秋楽公演のライブ中継が台湾や香港の映画館で実施されるなど
海外でも名の通った宝塚歌劇ですが、
初めて海外公演が実現したのは1938年(昭和13年)の第1回ヨーロッパ公演のことでした。
30名の生徒がドイツ、ポーランド、イタリアの25都市を巡演した公演は
片道1ヶ月間に及ぶ船旅と3ヶ月間の公演の旅。
神戸港から10月2日に出発した一行が帰国したのは3月5日のことで
出発したとき秋だった季節は春に変わっているというほど、
当時の海外公演は大変な公演だったようです。
さて今年は「モン・パリ」誕生90周年の記念の年ということで
大劇場ではお正月から記念公演「カルーセル輪舞曲(ロンド)」が
月組で上演されました。
「モン・パリ」は、1926年に海外視察に派遣された岸田辰弥さんが帰国後に
発表された日本初のレヴューであるということは広く知られていますが、
名取さんによりますとこの海外渡航は現地の演劇を学ぶだけでなく、
海外公演実現に向けての下調べでもあったというのです。
宝塚歌劇の生みの親・小林一三氏の発想の豊かさ・先見の明には
驚かされますね。
海外公演で宝塚歌劇が初めてお芝居を上演したのは1994年、
宝塚歌劇80周年の年に行われたロンドン公演のことでした。
それまでは和洋のショウとダンスの公演だったのだそうですよ。
ロンドン公演と、1998年の香港公演(宙組誕生お披露目公演)では
宝塚オリジナルの大階段も登場!
海外公演に於いても華麗なフィナーレが披露されるようになったそうです。
-21世紀に入ってからの海外公演では、「宝塚ジャポニズム~序破急~」
「怪盗楚留香―花盗人―」「Etoile de TAKARAZUKA」の3本立てを
上演した2013年の台湾公演のように、
公演先の国や地域の特性に合わせた多様な構成や演目が考えられるように
なったようです。
宝塚歌劇は「世界のタカラヅカ」として進んでいるのではないでしょうか-
名取さんは3回のお話の締めくくりに未来への展望をそう話して
下さいました。
まだまだお聞きしたかった名取さんのお話。
そんな思いの皆さんに、12月の放送回でご紹介した本「タカラヅカという夢」について少しお話ししたいと思います。
この本は1914年~2014年の宝塚歌劇100年の歴史の中から
今まであまり語られることのなかった出来事や人物を取り上げ
それぞれの項目を専門の方が執筆されている大変読みごたえのある本です。
例えば、
1940年11月から47年1月まで音楽学校の校長を務めた森氏と小林一三氏との
出会いや、戦争による激動の時期にあっても豊かな教育の場を目指した
森氏の功績などについて書かれている
『宝塚音楽舞踊学校校長・森隼三(貫田優子)』や
『劇場公演のいとなみ-戦時期から戦後占領期の宝塚歌劇(戸ノ下達也)』
『地方公演と宝塚-名古屋宝塚劇場公演を中心に(末松憲子)』
『宝塚歌劇と狂言 宝塚狂言の会―茂山忠三郎レッスン発表会をめぐって(名取千里)』などなど
私も夢中になって読み進みました。
他にも、
1960年前後の時代には神戸港に入港したアメリカ海軍の水兵たちが宝塚歌劇の観劇を楽しみにしていたというお話や
手塚治虫さんのエピソードなどがコラム記事で紹介されており、
歴女ならずとも楽しめる内容となっています。
「タカラヅカという夢」
編者: 津金澤聰廣 田畑きよ子 名取千里
発行: 青弓社
戦災や震災を乗り越えて、武庫川河畔に悠然と佇む宝塚大劇場には
今日もたくさんの方が訪れ、舞台に心躍らせていらっしゃいます。
この宝塚の地に宝塚歌劇が誕生したことは必然であったのでしょうか。
宝塚がいつまでも皆様の心の故郷であり続けますよう、
【レビュー・ステイション】はこれからも夢と情報をお届けしていきたいと
思います。