挑み続けた元飛び込み競技選手・寺内健の軌跡
スポーツアリーナありがとうございました!
エフエム宝塚は9月25日で、開局23周年!📻🎵
この23周年企画として……
6名の『エフエム宝塚アンバサダー』が誕生!!
アンバサダーの皆さんには、色々な番組にご出演いただいています♩(^^)
そして!!!
スポーツアリーナにも、アンバサダーからスペシャルな方にお越しいただきました!!
伝説のオリンピアン 元飛び込み競技選手 寺内健さん ✨✨
アンバサダー就任のお話、そしてこれまでの競技人生について、
たっっっくさんのことをお話してくださいました!☺️💫💫
オープニングでは睡眠中の「夢」のお話を🌜zzz
まさかまさかの、溺れる夢を見たり、
逆に、水の中で息ができる夢を見たりするんだそう。ファンタジー!!🐳
そして、今回の【オリンピックアリーナ】は、
『寺内健の軌跡』と題して、
オリンピックに6度出場された寺内さんのお話をたっぷりと伺いました!😊🍀
初出場は、1996年のアトランタオリンピック🇺🇸
当時高校1年生で日の丸を背負ってオリンピックの舞台へ挑みました。
● 高校1年生でオリンピックに出場、当時どんな気持ちでしたか?
−(寺内)「すごく厳しいコーチだったので、これでコーチに認められるかなという
思いがあった。自分を褒めるというより、コーチを喜ばせたい・認められたいと思う中、
出られたことはすごく嬉しかった。」
約32年ともに歩んできたのが、馬淵崇英コーチ
馬淵コーチとの出会いは寺内さんにとって「奇跡」でした。
−(寺内)「コーチに出会ってなければ、僕はオリンピックに行けなかったし、
考えもしなかった。出会えたことが奇跡。」
2019年に一度、現役を引退。
スポーツメーカーでの営業の仕事を経て、その後再び現役復帰。
復帰のきっかけとなったのが、友人である元競泳選手 北島康介さんの言葉だったそう。
−(寺内)「友人の北島康介が『健ちゃんもうやらないの?』『もう一回やろうよ』と、
彼が冗談ぽく言った言葉が響いてしまって。今しか出来ないことって何だろうと考え、
現役に戻って来ました。」
1996年のアトランタから、
2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京、
2016年リオデジャネイロ・2021年東京、6度ものオリンピック日本代表🇯🇵
● 6度出場されるとオリンピックの場がアウェイではなく、
ホームのように感じられたりするのでしょうか?
−(寺内)「まったく無いです。回数を重ねる度に怖くなります。
初めて出たときは何も考えずに、ここがオリンピックだと思って全力で臨めたのが、
2回目は、1回目より良い成績を取りたい、この4年やって来たことが
今日決まるんだなと思うとすごく怖くて、その日が来てほしくないし、
早く競技が終わってほしいと(2回目以降の)5大会はそう思っていました。
そして怖さを知ることで、東京オリンピックのときは一番緊張感や怖さがありました。
慣れることは無いです。」
寺内さんのお話を伺って、改めてオリンピックという舞台の特別さを感じました。
宝塚の誇り、日本の誇り、世界の誇りです✨
番組後半では、エフエム宝塚アンバサダー委任状授与を行いました!
我々スポアリチームも、
アンバサダーの皆さんと一緒に宝塚を盛り上げて参りますっ☺️💪🏼💪🏼
ファン・視聴者の皆さんからの質問にもたくさん答えていただきました☆
ブログに書ききれないほど濃いお話をたっぷりと伺いましたので、
是非、エフエム宝塚公式YouTubeアーカイブにてお聴き・ご覧ください😊🌿
🎵MUSIC LINEUP🎵
Still Not a Player / Big Pun feat. JOE(寺内さんの勝負曲!試合前にスイッチを入れる一曲)
熱くなれ / 大黒摩季
GIFT / Mr.Children
Honey / エリカ・バドゥ(寺内さんの勝負曲!合宿中などツラい時に聴く一曲)
I WISH / モーニング娘。
SMILE〜晴れ渡る空のように〜 / 桑田佳祐
何時だって挑戦者 / ももいろクローバーZ