宝塚音楽学校創立百十周年記念式典~小林一三 生誕百五十年と共に祝う
樽井美帆です
7月18日(火)、宝塚大劇場にて
「宝塚音楽学校創立百十周年記念式典~小林一三 生誕百五十年と共に祝う~」が開催されました。
約1200人の卒業生を含む来賓・関係者約2000人が参加し、
宝塚駅周辺は朝からとても華やかな雰囲気に包まれました。
全国から、またアメリカからも出席者があったそうです。
宝塚駅周辺では早くも再会を喜ぶ歓声が。
大劇場でも再会を喜ぶ笑顔があちこちで咲き、
改札口正面のT階段では同期生で集合写真を撮影する姿が多く見られました。
宝塚音楽学校は、1913年(大正2年)7月15日、宝塚唱歌隊として創設され、
今年110周年を迎えました。
これまでの卒業生は約4800人です。
阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループの創業者で、宝塚歌劇の産みの親、
そして宝塚音楽学校の初代校長である小林一三さんは、
1873年(明治6年)1月3日生まれ。
今年生誕150年を迎えました。
式典は午前11時にスタート。
約2時間30分の内容盛りだくさんの催しでした。
構成・演出は谷正純さん、音楽・指揮は吉田優子さん。
司会は、元宙組トップ娘役の陽月華さんでした。
美しすぎるデコルテが映えるステキなタイトなドレス。
どの角度から見てもとても洗練された美しさでした。
陽月さんが自己紹介されると、客席からはヒューという歓声が飛んでいました。
まずは国歌斉唱。
現在の宝塚音楽学校生徒である110期生と111期生が、
緑の袴に黒紋付姿で、足並みと気持ちを揃えて舞台に登場。
客席からは、初々しい後輩に向けてあたたかい拍手が送られました。
また、あまりの初々しさに感激されたのか「うわ~」という声も聞こえました。
続いて、角和夫理事長祝辞。
「今日は約1200人のみなさんに、ふるさとにお帰りいただいた」とおっしゃっていました。
小林一三さんが、ピンチをチャンスに変えたお話しを二つ紹介されました。
一つは、池田の住宅地開発のお話。
箕面動物園を作った一三さんは、動物園の目玉にとなんとサルを放し飼いに!
地元からはクレームが・・・
でも、のちに動物園は宝塚ファミリーランドとなり大成功!
二つ目は、宝塚新温泉のお話。
室内プールを作った一三さん。
室内というだけで温水ではなく水だったため、冬は寒くて入ることができず閉鎖。
そこで、その室内プールを宝塚歌劇の劇場へ変えて大成功!
また、2015年からスタートしたライブビューイングは、
東宝のシステムを使用したためノウハウが備わっており、スムーズに展開できたことなども
お話しされていました。
多くの方が楽しまれているライブビューイングとライブ配信。
コロナ禍においても、一三さんにならってピンチをチャンスに変えてきたと言えるのかもしれません。
来賓祝辞は、斎藤元彦・兵庫県知事。
非常に緊張しているとおっしゃっていましたが、
タカラジェンヌのような美しいスーツの着こなしとお辞儀が印象に残っています。
宝塚歌劇を国内外だけではなく海外へも発信していきたいとお話しされていました。
ナビゲーターを花組トップ娘役の星風まどかさんがつとめる映像も上映されました。
そこには小林一三さんが生徒たちに囲まれて笑う姿が。
レッスン風景が映し出された際には、客席から笑い声があがっていました。
通った時代は違っても、みなさんに覚えがある共通の風景だったのかもしれませんね。
続いては、記念鼎談。
小林一三さんが亡くなって66年。
実際の一三さんを知らない人が多くなってきたということで、
一三さんについての本を書かれたことがある3名の方々によるお話しでした。
フランス文学者・鹿島茂さん、作家・北康利さん、作家・玉岡かおるさん。
一三さんはどんな人物だったのか、今一三さんが生きていたら何を思うのかなどが話されました。
第二部の進行は、未沙のえるさん。
なんとお父さまのタキシードを着て登場されました!
とてもステキなタキシード姿で、あたたかい雰囲気で登場された未沙さんに、
客席からヒューという歓声と拍手が送られていました。
未沙さんならではの軽快なトークで進行されました。
加茂さくらさんの歌『宝塚我が心の故郷』
加茂さくらさんは、10年前の創立100周年記念式典の時も歌を披露されましたが、
その頃からさらに進化した歌声を大劇場に響かされました。
ライトに照らされ上品に輝く装飾が付いた黒のドレス。
豊かな声量と感動的なビブラートが感動的でした。
思い出トークに登場されたのは、42期生・加茂さくらさん、
46期生で東京宝塚劇場支配人の甲にしきさん、59期生・大地真央さん、65期生・杜けあきさん、75期生・湖月わたるさんです。
加茂さんが音楽学校に通われていた時代は、今のように2年制ではなく1年制だったこと。
制服がまだなくて、緑の袴で京都から通った思い出などをお話しされました。
甲にしきさんは、入学された年から2年制になったこと。
当時はピンマイクがなかったので、3階席まで届くようにと、
朝礼後に「申し上げます」という発声練習があったこと。
タカラヅカ・オン・アイスというアイススケートの公演があり、木の役をしたこと。
そのために本科時代には週に一回お昼から梅田リンクでスケートのレッスンがあったことを
お話しされました。
杜けあきさんは、宝塚ファミリーランドの中にあったお茶室でお茶の授業があったこと。
学校を抜け出してこっそりジェットコースターに乗った思い出を。
湖月わたるさんは、玄関掃除の担当で、宝塚音楽学校と書かれた校門の看板を
出したり入れたりする役割をしていたこと。
雨が降りだしたら授業中でも入れにいかなければならず、窓側の席の同期生の協力があったという
思い出をお話しされました。
大地真央さんは、宝塚歌劇を観ることなく入学したため、入学して初めて観た時、
隣の同期生に「あの方どなた?」と何度も聞いてしまったそうですが、
それがすべて甲にしきさんだったそうです!
甲にしきさんに憧れてショートカットにし、男役を志したとおっしゃっていました。
音楽学校生へのメッセージを次のように送られました。
加茂さくらさん
最初は大変だと思いますが、楽しいこともいっぱいありますので、
努力しながら楽しみながら過ごしてください。
甲にしきさん
努力して大勢のお客様に喜んでいただけるステキな舞台人になってください。
杜けあきさん
スタートの一歩を踏み出して頑張ってください。
先輩が背中を押して導いていますよ。
湖月わたるさん
大変な時代ですが、志変わることなく頑張ってください。
大地真央さん
私にとっては、一番多感な時期に色んなことを学ばせていただいた人生の学び舎です。
成績は人生にとって関係ありません。
希望を失わず楽しんで頑張ってください。
みなさん、ご自身の経験を踏まえてあたたかいエールを送られました。
トークコーナーに登場されたみなさんによる歌『おお宝塚』
同じ学び舎で学ばれたからか、歌い方やリズムの捉え方、客席の拍手もピッタリ揃っていました。
音楽学校本科生による祝舞「清く正しく美しく」
歌は、音楽学校で講師をつとめるOG、立ともみさん、寿ひづるさん、南風舞さん、ちあきしんさん。
先生方の歌声に背中を押され、本科生のみなさんの一生懸命で誠実な舞は感動的でした。
続いて、本科生・予科生による合唱『すみれの花咲く頃』
初舞台を踏む前に大劇場の舞台に立たれる貴重な機会ですよね!
特に予科生は、入学してまだ約3カ月。
にごりのない清らかで美しい歌声が響き渡りました。
中西達也校長のあいさつのあとは、出演者と客席の出席者全員で校歌斉唱。
現役の生徒さんと大勢の卒業生が、この校歌で一つにつながっているんだなと感じました。
式典終了後、卒業生代表でインタビューに答えてくださったのは、
大地真央さんと黒木瞳さん、南風舞さんと湖月わたるさんです。
大地真央さんと黒木瞳さんはトップコンビを組んでいらっしゃいましたが、
二人のコンビ感は隣に並ばれると今なお健在ですし、ドキドキする距離感✨
お互いをより輝かせる存在なんだなと感じました。
【式典を終えての感想】
大地真央さん
宝塚音楽学校の卒業生であることを今日あらためて誇りに思いましたし、愛おしくも思いました。
これからますます宝塚が永遠に続きますようにと密かにお祈りしました。
黒木瞳さん
音楽学校生のみなさんが、大勢の先輩方の前で祝舞を踊られたり、一生残る思い出だと思います。
今日の日を忘れずに頑張っていただきたいと思います。
南風舞さん
宝塚の歴史110年と簡単に言っても、本当に長い間に先人たちが思いをつないでくださって
今日があるんだなと、大劇場の舞台の上で歌わせていただきながらひしひしと感じました。
唯一無二の素晴らしいカンパニーに、自分の人生の中でそこに在籍できたことが
私の中の本当に幸せな1ページだと思っております。
湖月わたるさん
110期生・111期生のみなさんの祝舞にすごく感動しました。
宝塚に出会えたこと、音楽学校に入学できたことにあらためて感謝しています。
音楽学校が、これからも夢を追い求めて若い乙女たちが切磋琢磨し、
タカラジェンヌを目指す場所として永遠に続いていってほしいとあらためて感じました。
【音楽学校時代の思い出】
大地真央さん
笑い声が聞こえてはいけないので、ロッカールームに顔を突っ込んで笑っていましたが、
かえって響いてうるさかったことなど、楽しい思い出がよみがえってきます。
当時は泣いたりしたこともありましたが、本当にいい学び舎です。
黒木瞳さん
予科の時は一生懸命お掃除もしてお稽古もして、大変なことも多かったんですけど、
今思うとあの時代があったから今の自分がいるんだなと思います。
あの二年間はかけがえのない財産です。
【ともに過ごした同期生について】
大地真央さん
友達以上家族未満のような感じでしょうか。
普通の学校の同級生とはちょっと違う、より深いものがあると思います。
黒木瞳さん
同期生の絆は本当に強いものがあって、今日も久しぶりに会いましたが、
当時の時に戻ってしまうので、今10代になった気持ちです。
【本科生・予科生と校歌を歌った感想】
大地真央さん
1番は完璧に覚えていたんですが、2・3番って歌ったかな?という感じでした。
でも、後ろからコーラスがグッと支えてくれたので何とか歌えました。
黒木瞳さん
大劇場そのものが一つになって、宝塚っていいなとあらためて思いました。
宝塚に入れたことをすごく感謝しています。
『レビュー・ステイション』では、式典に出席されていた40期生のみなさんにお話しを伺いました。
小林一三さんと同じ時間を過ごされたみなさんです。
浮城美登里(うきしろ・みどり)さん・東雲暁美(しののめ・あけみ)さん・南月一乃(みなづき・かずの)さんです。
同期生の絆で結ばれた3人は、今なお芸事を続け、精進し続けていらっしゃいます。
40期生は、1953年(昭和28年)に宝塚歌劇団に入団し、『春の踊り -花の宝塚-』で初舞台。
那智わたるさん・浜木綿子さん・藤里美保さん・麻鳥千穂さんらがいらっしゃいます。
浮城美登里さんは、元雪組・娘役。
退団後は、地唄舞、日本舞踊の世界でご活躍。
国立劇場でも舞を披露、また指導もされています。
東雲暁美さんは、月組と星組の男役として舞台に立たれました。
男役が少ないからという理由で組替えになったそうですが、
組替えはそれぞれの組に特色があるから大変だったとおっしゃっていました。
宝塚が好きで、歌と踊りが好きで約15年間在団。
退団後は、新舞踊を一から勉強され、指導もされています。
南月一乃さんは、月組と雪組の娘役でした。
組替えの際、自分は雪組の感じじゃないのに・・・と思われたそうです。
約7年半在団。
ダンサーとして活躍されました。
特に南月さんが在団中に宝塚歌劇に取り入れられたタップダンスでご活躍。
宝塚歌劇が好きで好きで、バレエが好きで好きで入団されたそうです。
今も月に1回は大劇場で観劇されています。
退団後も大好きなダンスを続け、指導もされています。
【小林一三さんとの思い出】
南月一乃さん
初めて大劇場でタップが取り入れられた時、小林一三先生が私のことを見つけてくださいました。
男の子の役で歌を歌ってタップを踊ってお芝居をした私を見てくださった小林先生が、
とってもタップが上手な子がいるよと言ってくださり、それ以来タップをずっと今も続けています。
小林先生さまさまです。
前から2列目の23番が小林先生の指定席でした。
静かに観ていらっしゃいました。
舞台袖から観て、小林先生が座っていらっしゃるのが見えると、
みんなで「今日小林先生の日だわ!」と言って緊張していました。
もう何十年も昔の話ですね。
東雲暁美さん
六甲山ホテルにたまたま遊びに行くと小林先生がいらして、
「じゃあ、みんな見せてやろう!」と言って杖で景色をさして「いいだろう」とおっしゃいました。
お正月には小林先生のお宅へ行ってごちそうになって帰ってきたりもしました。
その時のお写真が大阪府池田市にある小林一三記念館に残っているそうです。
東雲さんは小林一三さんのお隣に写っていらっしゃるそうですよ。
「久しぶりに芸名を名乗ったわ」と目を輝かせながら、
今日はお世話になった小林先生にご挨拶ができた思いですと懐かしさを胸に
お話しをしてくださった仲良し同期生のお三方。
貴重なお話しを本当にありがとうございました。
式典の記念品はアクリルスタンドでした!
一三さんが今どきグッズに!と思うと、ちょっと微笑ましい記念品ですね。