元宝塚歌劇団 月組 みさとけい さん【2023年】
樽井美帆です
宝塚歌劇の夢と情報をお届けする『レビュー・ステイション』
2023年10月14日(土)は、スペシャルゲストデイをお届けしました!
お迎えしたのは、
元宝塚歌劇団 月組 みさと けいさん
1968年、『マイ・アイドル』で初舞台を踏まれた54期生。
1981年、月組公演『白鳥の道を越えて』・『ザ・ビッグ・アップル』で退団されました。
背が高く手足が長いみさとけいさん。
愛情あふれるお人柄で、私たちを大きな愛と包容力で包んでくださいました。
お母さまが春日野八千代さんの大ファンだったみさとけいさんの宝塚歌劇初観劇は4歳のころ。
星組公演『虞美人』でした。
本物の馬が出てきたことと「赤いけしの花」という曲が印象に残ったみさとさんは、
お家に帰って定規を持って踊っていたそうです。
ほとんど毎日のように習い事をこなし宝塚を目指したみさとけいさん。
当初は宝塚を目指すことを反対されていた音楽家(チェリスト)のお父さまでしたが、
高校生になったころには、本気で頑張る一途なみさとさんを見て
応援してくださるようになりました。
宝塚音楽学校入学式の前日、真新しい制服を着て清荒神でお父さまと写真を撮影。
その様子を参道に住んでいた上級生がご覧になっていて、
入学式の日からご注意を受けるというとても印象的なスタートとなったそうです。
入学式前に制服を着てはいけないという決まりが実はあったそうです💦
ご注意を受けた時、「私、宝塚に入ったんだ!」と
音楽学校生になったことを実感し感動を覚えられたというみさとさんは、
いつも考え方は前向きですとおっしゃっていました。
そのステキなお写真は、みさとけいさんのInstagramでご覧いただけます。
おでこがそっくりなのよとおっしゃっていました😄
✨みさとけいさんのInstagram(お父さまとのお写真)✨
初舞台、1968年の花組公演『マイ・アイドル』は、
トップスター那智わたるさんの退団公演でした。
なんと初舞台生のロケットに、足を出したダルマ衣装で那智さんが何小節か
一緒に踊られたそうです!
横一列に並ぶ際、背が高い人がセンターに並ぶというフォーメーションだったため、
同期の中で2番目に背が高かったみさとさんはセンターに。
お隣は那智さん!
同期みんなから羨ましがられたそうです🤩
「よろしくね」と初舞台生のみさとさんに優しく声をかけられた那智さんは、
お隣で手を組むといつも良い香がしたそうですよ~✨
「那智わたるさんは、夢のような、これぞフェアリーという方でした。」と
みさとさんは目を輝かせておっしゃっていました。
2年間組配属がなかったため色々な組に出演されたみさとけいさん。
1969年の星組公演『シルクロード』で演じられたのはラクダ役🐫
ラクダ色の総タイツを身に付け、ラクダの被り物をし、上手から下手へ歩く役でした。
ラクダが貴重な交通手段であることを表現した場面でしたが、
カッコイイ男役を目指していたみさとさんは人間の役がしたかったそうです😆
毎日ラクダの行進をしていたある日、大スターさんから
「貸切公演の日一回だけラクダをやらせてほしい」というお願いが!
その大スターさんは鳳蘭さん✨
内緒で一回だけ鳳蘭さんがラクダをされたそうです!
「鳳蘭さんは楽しい方でした😃
宝塚自体が花園というよりも遊園地みたいな楽しさが毎日ありました🎵」
鳳蘭さんがラクダを演じていらっしゃる間、みさとさんはお手洗いに隠れながらも、
大スターさんが声をかけてくださったことがうれしかったそうです🤩
内緒だったはずなのですが、数年後には鳳蘭さんもみさとさんも
楽しい思い出をみなさんにお話ししていたそうです😁
みさとさんが現役時代には、そのような楽しいことが時々あったそうですよ。
みさとけいさんは、今年初演から50周年を迎えた
『ベルサイユのばら』の初演1974年の月組公演に出演されています。
本公演ではアラン、新人公演ではフェルゼンを演じられました。
初演のアランは、アランとベルナールが一つになったような役だったそうです。
初演でアランが言っていたセリフを、今はベルナールが言っているものがあると
おっしゃっていました。
劇画を初めて見た時、これは宝塚のために描かれているようだと感じたみさとさん。
香盤発表でアラン役に決まったことを知りとてもうれしかったそうです。
演出で入られた長谷川一夫さんが、
「無理な形をするから、人はキレイって言うんだよ。ドキッとするんだよ。」と
オスカルとアンドレの「愛あればこそ」を歌う場面の振付をされている様子は、
見ていて本当にお勉強になったとおっしゃっていました。
また初めてお稽古場で、マリー・アントワネットを演じる初風諄さんが歌う
「青きドナウ」を聞かれた時は、胸がいっぱいになったそうです。
どんな発想で作曲されたんだろうと、曲の素晴らしさに感動もされたそうです。
初演ではもともと、ピアノのそばでフェルゼンと妹が会話をする
「フェルゼン邸」という場面があったのですがカットに。
お稽古場で、ステキな場面だな見ていたみさとさんは、
あの場面やりたかったなぁとガッカリ😔
ところがなんと、新人公演のみその場面が復活!
最高にうれしかったそうです😍
初演でみさとさんは努力賞を受賞されています。
みさとさんは4度『ベルサイユのばら』に出演されています。
翌年、1975年には雪組に組替えとなり再び出演。
新人公演で演じたフェルゼン役を本公演で演じられました。
そして、2年連続で努力賞受賞✨
花組時代にも全国ツアーで2度出演され、フェルゼンとアンドレを演じられました。
お稽古の時、「今、自分は誰を演じているの?」と混乱してしまうこともあり、
アンドレの時はシンプルなものを着るなどお稽古着を工夫して確認されていたそうです。
今でも全部のセリフが出てきますとおっしゃっていました。
演技賞を受賞された1979年の花組公演『紅はこべ』で演じられたショー・ヴラン役。
みさとけいさんご自身ものすごく好きな役だったそうです。
敵であり英雄である人物。
きちんと演じなければ、ただの悪い人になってしまうと考え、
少年少女向けに書かれた本「紅はこべ」を読まれたみさとさん。
その本を持って演出家・柴田侑宏さんのところに行くと
「子どもが理解できるようなショー・ヴランをやろうとしていたのか」と
怒られてしまったそうです。
「自分で作っていいんだよ。自分で考えて作りなさい。」と柴田先生からのお言葉が。
ショー・ヴランがお酒を吹き出すというコミカルな場面がり、
パーシーを演じる松あきらさんと楽しくその練習ばかりしていると、
「そこがメインとちゃうで」と柴田先生からご注意が😆
努力賞・演技賞・新人賞・優秀賞・年度賞・助演賞・ローズ大賞・作詞賞など、
ほとんどの公演で賞を受賞されているみさとけいさんは、最多受賞生徒さんだそうです✨
やる限りは一生懸命やろうと親孝行の気持ちも込めて舞台に立たれていたみさとさんです。
1981年の退団公演ではサヨナラショーをされました。
羽山紀代美さんが、リフトをしながら歌うという超ハードな振付を!
本公演では花組の北原千琴さんをリフトされていたのですが、
サヨナラショーでは何と大地真央さんをリフトすることに!
娘役さんをリフトすることと比べると、体格的に男役さんの大地さんを
リフトすることは大変で、重労働のサヨナラショーだった思い出が💦
大階段を下りて退団のご挨拶は、黒の紋付に緑の袴が決まったスタイルでしたが、
みさとけいさんはどうしても黒燕尾で退団したいという希望がありました。
もちろん劇団はNG。
演出の酒井澄夫さんに相談すると「やってみたら」と気軽なお返事が。
みんなに知れてはいけないので、ご挨拶直前に黒燕尾に着替えられたそうです。
今では黒燕尾でご挨拶をされるトップスターさんが多くなりましたが、
みさとけいさんが先駆者だったんですね!
退団公演『ザ・ビッグ・アップル』はニューヨークが舞台のショーだったため、
髪型はチリチリのパーマをかけたリーゼント。
「そんな髪型で黒紋付・緑の袴姿は、どう考えてもおかしいわ」と思われたのも、
黒燕尾を選ばれた理由の一つだったそうです。
『ポップ・ニュース』という公演で真帆志ぶきさんが歌われた「愛」を銀橋で歌いながら、
手に持っていた薔薇の花を客席へまき、手ぶらになったみさとさんは
最後に組長と榛名由梨さんと手をつなぎます。
「それがしたかったんです!だから手ぶらで退団しました!」とおっしゃっていました。
みさとさんの在団されていた時代は、今のように大きな退団ブーケを持つことが
まだなかったそうですよ。
宝塚歌劇の歴史の中で様々な「初」を刻んでこられたみさとけいさん。
『白い朝』で新人公演主演をされた時にはこんな「初」を✨
今ではトップスターや主演の方がつとめられる開演アナウンス。
当時の開演アナウンスは、劇場事務所にいらっしゃる女性スタッフがされていたそうです。
開演前で緊張しているみさとさんを「ピンちゃん、ピンちゃん」と呼ぶ柴田侑宏さん。
「これ今日読んでみてくれるかなぁ」と言われて見せられたのが開演アナウンス原稿。
本日は雨の中を・・・と天候に関する記載が追記されてものだったそうです。
「開演アナウンスを生でして、それからプロローグやで。できるでしょう!」と柴田侑宏さん。
開演直前でドキドキしながら、みさとさんがされた開演アナウンスこそ、
主演をつとめる方が初めてするものだったのです!
次の本公演・新人公演からは主役の方が開演アナウンスをされるようになったそうです。
「実験台だったのかな?」とおっしゃっていましたが、
大成功だったからこそ今では当たり前のことになっているんですよね✨
退団後も「初」は続きます!
1981年、宝塚歌劇団初の女性演出助手になられました。
1988年に退社されたのち、1991年に宝塚市内に宝塚受験スクール
「トップハット」を開校されます。
当時はまだ宝塚受験スクールがない時代でした。
一日に一種類しかレッスンできないのはもったいないし、交通費もかかる。
また演出部にいらした時に、もっと技術を身につけて入団することができるといいなと思われるなど、
ご自身の経験から、一カ所で色々なことが学べるスタジオをと考えて作られたスクールは、
約31年にわたり約90人のタカラジェンヌを送り出した名門スクールとなりました。
長いようで短いようで、ものすごく長かったですと笑顔でおっしゃるみさとけいさん。
「トップハット」で学ばれ合格された方はもちろん、
宝塚歌劇以外の道に進まれ世界で活躍されている方がいることを
とても幸せそうにお話しされていました。
人と比べてギスギスするのではなく、夢をもっともっと膨らませて受験してほしい。
選ばれなかったからといって自分を否定することはない。
と、これから宝塚音楽学校を受験する方の背中をそっと押してくださいました。
2023年7月に宝塚受験スクール「トップハット」は閉校。
現在はレンタルスタジオとして生まれ変わっています。
みさとけいさんは、管理人兼経営をされています。
ぜひホームページをご覧くださいね!
YouTubeライブのアーカイブはこちらです!
✨2023年10月14日『 レビュー・ステイション』(みさとけいさん)✨
みさとけいさん、ご出演くださいまして本当にありがとうございます!
なお、みさとけいさんがご出演くださるにあたり、
株式会社 いづみや本舗様より
「ベルサイユのばら炭酸せんべい」をご提供いただきました。
ありがとうございます。