元宝塚歌劇団 雪組 玲有希(野村有佐)さん
樽井美帆です![]()
宝塚歌劇の夢と情報をお届けする『レビュー・ステイション』
2月7日(土)は、スペシャルゲストデイをお届けしました!
お迎えしたのは、
元宝塚歌劇団 雪組 玲 有希(野村 有佐)さん![]()
2022年12月にゲストトークにご出演いただいて以来、
約3年ぶりにご出演くださいました。
退団後は、野村有佐さんというご本名で活動をされています。
野村有佐さんは、宝塚市ご出身。
スタジオの前には、地元・宝塚ということもあり、
多くのお知り合いやファンの皆さんが駆けつけてくださいました。
ガラス越しの笑顔の交流に、スタジオ内も一気に華やかな空気に包まれました。
1999年、入団3年目。
『ノバ・ボサ・ノバ』新人公演のドアボーイを演じられた野村さん。
ソロを踊るという大役は、「超絶緊張して記憶にないんです」と笑いながらも、
客席からの手拍子を一身に浴びた感動のシーンを振り返ってくださいました。
2000年の『凱旋門』では、「ラヴィックの影」という難役に挑戦。
トップスター・轟悠さん演じるラヴィックのセリフや心情に合わせて
動かなければならない影の役。
「ハットで顔は隠すのですが、口紅の色まで轟さんに教えていただき、
お揃いにして挑みました」と役作りへの思いを聞かせてくださいました。
また、轟さんとお揃いのヘアスタイルにするため美容院へ行かれた野村さんでしたが・・・
轟さんから「刈上げの思い切りが足りません!」とアドバイスを受け、
再度美容院へ行き、覚悟を決め、思い切った刈上げヘアにされたそうです。
ある日、音響トラブルで音が出ないことがあったそうです。
ドラブルにうまく対応できたか不安な気持ちを抱いていた野村さんに、
「あなたのせいじゃないわよ」と優しく声をかけられた轟さん。
トップスターの大きな愛を感じずにはいられませんね。
ラヴィックとラヴィックの影として轟さんと舞台に立たれた野村さんですが、
轟さんが雪組トップスターとして出演された最後の作品『愛 燃える』では、
ラストシーンで轟さんを斬ってしまわれたそうです🥲
轟さんは、呼吸とリズムが大切だよと、
お稽古中から立ち回りの指導を丁寧にしてくださったそうですよ😍
安蘭けいさんのディナーショー『ラフタイム』に出演された際には、
オープニングの衣装がダルマであると分かり衝撃を受けられた野村さん。
お客様との距離が近いディナーショー。
「ダルマを着るなら、全身スリムにならなければ!」と一念発起し、
リンゴとチーズとプルーンだけで過ごした日々。
安蘭けいさんから「頑張ったね!」と言われた時は、
努力が報われ喜びはひとしおだったとか。
2001年、『猛き黄金の国』新人公演で演じられた実在の商人、
三野村仁左衛門のセリフ「お商売も広げすぎると、扇のようにバラリと倒れてしまう」
という言葉は、経営者となった今の野村さんの心に深く生き続けているそうです。
そして2002年、日本青年館での東京特別公演『ホップスコッチ』で退団されました。
同期生が別公演で不在の中、一人での退団となりましたが、
「上級生や下級生の皆さんが、私のためにたくさんの愛を注いでくださり、
忘れられない公演になりました」と、温かい絆を感じられての卒業を振り返ってくださいました。
現在は、宝塚南口駅直結の「すみれの花保育園」の経営、
そして芦屋で「Plume+ after school」を運営されています。
働く女性を応援したいという強い思いからスタートした保育園。
元タカラジェンヌがバレエを教えるという贅沢な環境や、
大劇場での観劇中に一時預かりができる便利なサービスなど、
野村さんならではのこだわりが詰まっています。
保育士さんの優しいすみれ色の制服は、野村さんのデザインです✨
また、アフタースクールで注力されているのが「非認知能力」の育成。
数値化できない表現力、忍耐力、コミュニケーション能力。
「これこそ、舞台で培ってきたタカラジェンヌの得意分野!」と確信した野村さんは、
講師全員を元タカラジェンヌで構成。
子供たちが将来、どんな困難があっても強く羽ばたいていける「生きる力」を、
自らの経験を通して伝えていらっしゃいます。
プライベートでは、家の中がジャングルのようになるほど
観葉植物を育てることに夢中な野村さん。
そのこだわりが縁で、2026年5月号の雑誌『25ans(ヴァンサンカン)』への
掲載も決定されたそうです!
「人を愛すること、愛されることの素晴らしさを伝えたい」
野村さんの真っ直ぐな瞳から深い愛情を感じさせていただきました。
野村有佐さん、素敵な時間を本当にありがとうございました!











